大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

高知地方裁判所 昭和48年(ワ)70号 判決

原告 上地良子

被告 玉井研吉

主文

一  被告は原告に対し金一五万円及び内金一二万円に対する昭和四八年三月九日より完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は原告勝訴の部分に限り仮りに執行することができる。

事  実 〈省略〉

理由

第一被告の民訴法一三九条の主張に対する判断

被告は、本判決記載の原告の主張は、時機に遅れて提出されたものであるとして、これの却下を求めるが、医療過誤訴訟においては高度の専門的知識を必要とするのに対し、原告側に専門的知識あるいは資料が欠如、不足しているため、訴提起の段階で完全な請求原因事実の開陳を求めることは困難であつて、訴訟の進行に応じ、ある程度証拠調べが進行した段階において改めてその主張を検討整備するという方法をとらざるをえないことは、この種の訴訟においてやむをえないところであり、許容されるべきである。本件において原告は、専門医師である証人飯塚治の証人尋問(昭和五〇年七月二四日第八回口頭弁論期日)終了後、同年一〇月六日第九回口頭弁論期日において、同証人らの証言等を参照して請求原因を整備変更したことはやむをえないところであつて、これをもつて時機に遅れたものとすることはできないし、またそれが故意、過失によるものとは認められない。よつて被告の前記主張は採用できない。

第二原告の請求原因に対する判断

一  被告が肩書住所地において玉井産婦人科医院を開業する産婦人科医師であること、原告が昭和四五年九月中ごろより吐気、悪心があり、九月二〇日、一〇月一一日に不正出血があり、同月一三日被告に診察と治療を求め、原、被告間に診療契約が成立したこと、その具体的内容が妊娠の有無及び原告の症状に対する診断と適切な治療であること、被告に診療契約に従つた善管注意義務のあること、被告は同日原告に対し、尿の妊娠反応検査を行ない、その結果妊娠反応はプラスであつたこと、同月一六日被告は再び原告を診察し、原告に対し「切迫流産であるから妊娠を続けるよう施術をするか、または人工妊娠中絶手術をするか。」と尋ねたところ、人工妊娠中絶を希望したので、同日原告に対し人工妊娠中絶手術を行なつたこと、右手術後、被告は子宮内容物を検査したところ、脱落膜はプラスであつたが、絨毛の有無については確認できなかつたこと、ダグラス窩穿刺を実施したところ、結果はマイナスであつたこと、被告が開腹手術をすることなく、同日原告を帰宅させたこと、ところが同月一八日午前九時ごろ原告に卵管破裂が発症し、原告は、被告が不在であつたため、浜脇産婦人科を訪れたが、同医院では手術できないとのことであつたので、新松田愛宕病院に行き、同病院で子宮外妊娠の手術をうけたことは、当事者間に争いがない。

二  被告の債務不履行(不完全履行)について

1  第一次主張について

被告が一〇月一六日原告に対し人工妊娠中絶手術を行なつた後、子宮内容物を検査したところ、脱落膜はプラスであつたが、絨毛の有無については確認するに至らなかつたこと、被告が同日開腹手術をしなかつたことは、前記のとおりである。

原告は、被告が一〇月一六日の時点において、医師としての高度の注意義務をもつて子宮内容物中に絨毛のないことにつき精査すれば、原告が中絶前の子宮外妊娠であるとの確定診断が可能であつたにもかかわらず、子宮内容物中の絨毛の有無についての検査が不十分かつ不適切であつた結果、中絶前外妊であるとの確定診断をなすことができず、開腹手術等適切な治療行為をしなかつた点に、被告の債務の不完全履行があつた旨主張するので、この点につき判断する。

証人浜脇弘暉、同飯塚治の各証言及び被告本人尋問の結果によれば、人工妊娠中絶手術後、子宮内容物を検査した結果、絨毛プラス、脱落膜プラスのときは正常妊娠であり、絨毛マイナス、脱落膜プラスのときは子宮外妊娠の強い疑いがあり、子宮内容物中の絨毛の有無が正常妊娠か子宮外妊娠かを診断するための一つの重要な手がかりとされているが、右の絨毛の有無の判定は必らずしも容易ではなく、判定困難な場合があること、また子宮内容物中絨毛がプラスのときは正常妊娠、すなわち子宮外妊娠ではないと確定診断しうるが、逆に絨毛マイナスの場合はそのことのみをもつて直ちに子宮外妊娠と断定することはできないこと、すなわち流産により出血している場合その出血により手術時には絨毛がすでに体外に排出されている場合のあること、したがつて医師としては、人工妊娠中絶手術後子宮内容物中に絨毛の存在が確認できなかつた場合には、外妊の疑いをもちつつ患者を医師の監視の下に置いて経過観察を行ない、徐々に外妊であるか否かの診断に達していくこと、すなわち人工妊娠中絶手術後、確認のため子宮内容物を組織検査に出しその結果の判定をまちつつ、妊娠反応を三日おき位に調べ、BBT(基礎体温)をつけさせ、その結果一週間以上経過しても妊娠反応が依然として陽性であり、BBTも高温相がつづき、内診上子宮が大きくも軟かくもならず、ほぼ正常大、正常高度であり、つわり症状も依然として存在している場合等にはじめて中絶前の外妊と診断しうること、したがつて外妊であるとの診断は人工妊娠中絶手術後少なくとも一週間以上の時間的経過を経て可能となるのであつて、人工妊娠中絶手術直後において、絨毛の有無がはつきりしなかつた場合は勿論、絨毛がマイナスであつたとしても、直ちに外妊であると確定診断して開腹手術をすることは医学上到底考えられないことが認められる。他にこの認定を左右するに足る証拠はない。

以上の事実からすれば、人工妊娠中絶手術後の子宮内容物中の絨毛の有無についての判定は医学上困難なことがあるのであるから、一〇月一六日被告において絨毛の有無を確認できなかつたからといつて、直ちにその検査が不十分、不適切であつたと断定することはできないのみならず、仮りに検査の結果絨毛がマイナスであることが判明したとしても、直ちに子宮外妊娠の確定診断をすることは、医学上不可能であり、なお一週間余の経過観察期間を必要とするところ、本件は右経過観察期間中(人工妊娠中絶手術後二日目)に卵管が破裂したものであるから、仮りに原告主張のごとく被告に絨毛の有無の確認につき不十分、不適切な点があつたとしても、即日確定診断が不可能であつたことについては同様であるといわざるをえない。

したがつていずれにしても、一〇月一六日の段階において被告が子宮外妊娠であると確定診断し、開腹手術しなかつた点に、被告の債務の不完全履行があつたとする原告の第一次主張は、これを認めることができない。

2  第二次主張について

前記争いのない事実、被告本人尋問の結果及び右供述によつて成立の真正が認められる乙一号証、原告本人尋問の結果によれば、被告は一〇月一六日の人工妊娠中絶手術後、麻酔のさめた原告に対し「すつきりしたろう。」といい、同日原告を帰宅させたこと、右帰宅に際し、被告は原告に対し「もう一度くるように、変つたことがあつたらくるように。」と告げたが、病状検査結果等についての説明、再来院すべき日、その他格別の指示、注意を与えることはしなかつたこと、原告は手術により正常妊娠が完全に中絶されたものと思つていたところ、一〇月一八日午前九時すぎ、突然卵管が破裂し、激しい腹痛とシヨツク症状に襲われたため、全く事情がわからないまま被告方に電話したが、被告は不在であつたので、救急車で国吉病院へ行つたところ産婦人科へ行けと指示されて更に浜脇産婦人科に行つたところ、同医院では手術はできないとのことであつたが、とりあえず全身状態の改善のため輸血をし、点滴をしながら救急車で新松田愛宕病院に行き、前記のとおり子宮外妊娠の手術をうけ、生命をとりとめたことが認められる。原、被告各本人尋問の結果中、右認定に反する部分は措信しない。

ところで前記第一次主張において認定の事実よりすれば、本件原告の場合、妊娠反応はプラス、絨毛の存在は未確認、すなわちその存在が確認できなかつたのであるから、医師としては当然子宮外妊娠の可能性を考慮し、引き続き前記のような経過観察を行なうと共に、その間にも発症することのありうべき卵管破裂について配慮を加えるべきであつたこと(被告本人尋問の結果によれば原告は人工妊娠中絶手術当時妊娠七週目にあつたところ、証人飯塚治の証言によれば、一般的にはこの頃が卵管破裂の頻度の多い時期であることが認められる)、子宮外妊娠による卵管破裂は救急疾患であつて、治療の時期を失すると生命の危険がある(証人浜脇弘暉の証言によれば、卵管破裂による死亡は日本女性の出血による死亡率の第三位にある)こと等よりして、手術終了後の帰宅も、通常の場合とは異なつた特別な事情にあるのであるから、被告としては、原告を帰宅させるに際し、検査の結果を説明し、正常妊娠と確定できないので外妊の可能性があり、経過観察をする必要がること、早晩卵管破裂が起るかも知れないが、早期に手術すれば必らず助かることを告知し、卵管が破裂した場合の具体的指示、すなわち突然激しい腹痛があつた場合には即時被告方に来院するか、もしくは被告が不在のときは救急病院等に急行することを指示する等、卵管破裂に対処しうる心がまえを多少とも患者にもたせるための指示を与えておくべき義務があつたと考えるのが相当である。しかるに被告は前記認定のとおり、「もう一度来なさいよ、変つたことがあつたら来なさいよ。」という程度の日頃産婦人科医師が患者に対して使用するきまり文句程度のことを告げたのみで、何ら特別の指示を与えなかつたのであるから、被告の診療債務の履行は、右の点において不完全であつたというべきである。

被告は、ダグラス窩穿刺の結果はマイナスであつたし、本件における程度の外妊の疑いの段階で、患者に外妊の疑いのある旨を告知すれば、却つて無用の混乱を招くから、告知の義務はないと争うが、ダグラス窩穿刺は腹腔内に出血がない以上当然マイナスであるから、中絶前子宮外妊娠の診断方法としては余り意味がない(証人飯塚治の証言)し、絨毛の存在が確認できない以上、子宮外妊娠の疑いがある(だからこそ被告はダグラス窩穿刺をしたのである)うえ、子宮外妊娠(正確にいえばその大部分をしめる卵管妊娠)であつた場合早晩卵管が破裂し(勿論流産の場合もあるが)、卵管が破裂すれば生命の危険のあることは前述のとおりであるから、医師としてはこの点に思いをいたしそれ相応の注意、例えば「多分子宮外妊娠ではないかと思うが、万一の場合を考えて注意しておくが」という程度の言葉を前置きして、前記のような注意を与えるという配慮をすることは、医師としての善良な管理者の注意義務上、その必要があるものというべきである。

もつとも、医師としては、特に神経質な患者等に対して不相当な心理的負担や混乱を与えないよう配慮することもその職責であるから、そのようなおそれがある場合には、近親者を立会わせ、誤解のないよう懇切に説明する等の方法を工夫することも可能であり、更に、場合によつては、外妊のことにはふれないで経過観察の必要なことを「中絶後には激痛の起ることがあるからそのときには即時来院するよう」注意を与えると共に、予め看護婦に対して医師不在の場合には指定の病院で手術をうけるよう患者に指示せよと命じておくようなことも許されるであろうが、少くとも右の程度の配慮は産婦人科医の最小限の義務として要求されるところである。

以上のことは、一見医師、特に開業医に対し過度の要求をするようであるが、人間の生命を扱う医師の職責の重要性を思うと、当然の注意義務であるといわざるをえない。

なお原告は、絨毛の有無が未確認である以上、入院させるべきであつたと主張すを。成程このような場合入院させるのが理想的だとはいえるであろうが、子宮外妊娠の疑いが可成り強い場合は格別、本件における程度の疑いの段階で、しかも原告の居住地付近には被告その他の医療機関があるので、入院措置をとるまでの義務はないというべきである。

よつて、被告は原告に対し債務の不完全履行により生じた左記損害を賠償する責任があるものである。

三  原告の損害〈省略〉

四  結論〈省略〉

(裁判官 下村幸雄 高橋水枝 豊永多門)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例